この表題は子供の頃に聞いた言葉なんですが、その意味がなんとなく分かるようになったのは暫くたってからでした。
こんなゴミの捨て方ってあるのか?
近くの奇麗な海岸線沿いに、総合病院に続く広くてきれいな道路があります。
その道路際にはちょっと一休みできる広場があって、そこから見える海のパノラマは仕事疲れの心を癒してくれます。
その広場に車を止めて、「この人と結婚して、この近くに住もう」と決心した人もいるような美しい景色の小さなエリアなのですが、昨日仕事帰りに通り立ち寄って見たら、ゴミ袋の中には、カップ麺の容器やお菓子の袋、何だかわからない汚れもの、たばこの吸い殻が入っていました。
誰の仕業なのか? このゴミの向こうの砂浜では、小さな子供2人がお爺ちゃんらしき人と海水浴を楽しんでいて微笑ましかったのですが 😍⇒😂
運動公園のゴミ拾いをして怒られました
私が勤務する運動公園には、駐車場が4か所と小さな児童公園があります。
その場所には以前から色々なゴミが捨ててあり、見て見ぬフリをするのも限界が来ましたので、
同僚(元学校の先生)と一緒にすべてのゴミを拾い集めました。
ペットボトルや缶、殺虫剤の缶、ヘアースプレー缶、エアコン洗浄スプレー缶、汚れたタオル、お菓子の袋、たばこの吸い殻等、相当なものでした。
種類別に分けると有料ゴミ、有害ごみが含まれていますので、廃棄には経費が掛かります。
市の運動公園管理担当課に相談したところ、拾った場所は担当課が違うので「なぜ拾ったのか、今後はそんなことはしないように」との注意を受けました。
運動公園の利用者が何か月も同じゴミが散らかっている駐車場などを見てどんな気持ちになるでしょう。そんなことよりも、行政の業務区分の方が重要なのでしょう。
ゴミを平気で捨てる人は、自分の幸せも一緒に捨てている
幸せを感じることが出来る要素の一つに、「他者のために貢献する」があります。
(共同体の一員として、社会に貢献することで、より大きな幸せを感じることができる、周りの人たちのために何かをすることで、自己肯定感が高まり、生きる喜びを感じることができる)
アドラー心理学では、人間は社会的な動物であり、共同体の中で生きていくことが幸福の源泉であると考えられています。
勝手に捨てたは誰かが拾って処分することになります。それを何とも思わない人の特性は、自己中心的で、周囲への配慮に欠ける: 衝動性が高い: 責任感の欠如: ルール意識が低い: などが考えられます。
幸福感を得られる要素とは真逆な行動をとっているわけですから、つまりは自己肯定感など得られるはずはないと言えます。
たかがゴミを捨てる行為なのですが、それは自己成長を止め社会性を育むことが出来ない不幸な人を証明するもので、捨てられたゴミを拾う行為は他人のために行った行為なので、捨てた人の幸福感を拾ったことになるわけです。
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